<武者像>
歴史と人情の町金栄、
ここは豊な緑と数多くの史跡がある。
住む人々の生活の礎は、
戦国の昔、豊臣秀吉の四国制覇で
攻撃軍を相手に郷土愛に燃えて戦い散った
多くの先祖の熱い心が地域の気質として根づいている。
天正13年(1585)7月3日
金子城は、備後守の弟・対馬守元春公が
僅か数百の兵で死守していた時、
滝の宮口より揚羽蝶の旗指物を靡かせて、
土佐の勇将・片岡光綱公が
300余名の軍勢を率いて馳せ参じてこられたが、
これは初手から死出の援軍に他ならなかった。
この援軍で金子勢は、起死回生の応戦を試み、
光綱公も勇猛果敢、敵将も驚く作戦で
奮迅の働きをみせたが、如何にせん多勢に無勢
7月7日尤も激しかった北谷口の戦いで、
敵弾に当たり惜しみて余る勇将は無念の戦死。
金子城も防戦空しく
7月14日遂に落城、この日朝の決戦で
花房新兵衛公他多数の将兵も討死した。
悲運の城将元春公は
落ち延び僧呂となって後にこの地に戻り、
死者の霊を弔う寺として建立に努めたのが
今の名刹慈眼寺と謂われている。
攻撃軍の総大将小早川隆景公が
守備軍の壮絶な戦い振りを褒め称えて
多くの死者の亡骸に合掌、
法衣姿で舞った弔いの舞から誕生した
当保存会が設立から10年を迎えるにあたり
校区を挙げての記念事業として、
特に関わりの深い高知県越知町有志からの
温かいご支援と地域の方々のご理解あるご協力、
そして慈眼寺からの用地提供に基づいて
当時、盟約遵守と郷土防衛と謂う大義の為、
この地で敢え無く果てた多くの勇者の鎮魂供養
並びにその威徳顕彰の碑であることを記す。
平成15年11月吉日
新居浜市金栄トンカカサン踊り保存会


