伊予の西条歴史散策



撰文

西条高校の菅長崎丸船長/撰文9



西条高校の菅長崎丸船長


故長崎丸船長海軍予備少佐菅源三郎君は

越智郡菊間町菅源太郎の3男にして

西条中学校第1回卒業生なり

技能練達を以て称せらる

大東亜戦争劈頭海軍偵察機の命により

米国巨船プレジデントハリソン号を追跡

之を支那沿岸に圧迫擱座せしめ

空拳拿捕の偉績を樹つ

人皆其の胆勇と制機の妙用とを賛す

然も君は其の職責を尽ししのみと

其の功に居るを屑しとせず聞く者

皆其の謙徳を称楊せさるなし

昭和17年5月13日

船を督して長崎港に入らんとし

浮流水雷を発見するや

君は他船の危険防止に万全の処置を執れりと雖も

不幸自船は他の機雷に触れて沈没し

乗客船員の一部之に殉す

而して君船と運命を共にせんと欲し

以外にも救はるるも楽します

監督官憲は事故責君に在らずと慰撫するも

君心中私かに決する所あり

爾来1週間平静周到公私の事務を処理し

同月20日弧禅8時逓信協会が

君の敵船拿捕の偉勲表彰式を挙げんとするに

先だつ2時間東亜海運汽船社長崎支店楼上に

端坐遙かに皇居を拝し従容自決す

上下其の壮烈の死を悼み

心事の醇潔を感歎せざるなし

君資性温厚寡黙而して所信に忠にして

一義存する所必ず之を実行す

初め海軍に入らんとして体格合格せず

其の壮烈の最後は正に此の至誠の発露なり

挙世君を以て日本海員道の亀鑑なりと

欽頌するもの偶然ならんや

吾等同窓生母校が此の真丈夫を生みしを誇とし

其の遺書の一部と略歴とを石に勒し

後進をして矜式する所あらしめんとす余

同級の誼あり乃ち同窓会を代表し

聊か所見の一端を掲け不朽に伝ふと云尓


昭和18年12月   衆議院議員 河上哲太


(蛇足)

西条高校には

菅源三郎船長と金子元太郎先生の

二つの胸像があります。


金子元太郎先生の先祖は、

天正の陣の野々市の戦いで

敵の囲いを破って船屋に逃れた金子孫八朗です。


孫八朗は金子新左衛門といいます。





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