西條西国三十三霊場めぐり
第28番 明運庵法明寺(洲之内)/28
<第28番 明運庵法明寺(洲之内)>
本尊 聖観世音菩薩
この庵の境内に、
安知生(アンジュ)村庄屋の管五郎衛の墓がある。
天正13年(1585)の
天正の陣の郷土連合軍の中で
怪力無双であった管善兵衛道鎮は、
管五郎衛の先祖で、墓も同じ所にある。
管五郎衛の号は中山。
母は中野村庄屋、久門政の女。
幼少より学問を好み、京都に遊学する。
のち郷里に帰り、庄屋を20余年勤めた後、
長男に庄屋役を譲り、晩年塾を開く。
文政12年(1829)藩庁は篤学を褒め、
名字帯刀を許し、
随時、「択善堂」に勤仕することを命じた。
「択善堂」については
西条の案内板6を見てほしい。
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西国第28番は、
京都府宮津市にある成相山成相寺。
本尊 聖観世音菩薩 真言宗
この寺は、日本三景の一つ
天橋立のある観光地で観光客の多いお寺である。
天橋立の砂州は、成相山の参道と言われ、
その入口には、
日本三大文殊と言われている天橋山智恩寺があり、
ここも観光客で賑わっている。
ケーブルで登ると傘松公園に着く。
ここで有名な「天橋立の股のぞき」ができる。
ここからバスで行くと成相山は、絶景の場所にある。
この寺には、
「撞かずの鐘」と言われる珍しい鐘がある。
その由来は、
慶長14年(1609)のこと、
鐘を鋳造するため寄付を集めたところ、
金持ちの妻が、
「お金は出さないが、この子を寄付する」と、
いいかげんなことを言った。
鋳造が始まった時、その子も見に来ていて、
あやまって銅釜の中に落ちて、
いいかげんなことが、本当になってしまった。
やがて、鐘は出来たが、
その音は子供の泣き声だったので、
それ以来、鐘は撞かないと言う。


