伊予の西条歴史散策
ふるさと伊予西条の隅々まで歴史や文化の足跡を辿っています。


└橘の碑

武智勝丸翁の頌徳碑/橘の碑8



武智勝丸翁の頌徳碑



武智勝丸翁の頌徳碑.JPG



西日本最高峰の石鎚山は、

昔から霊山として崇められ、

山岳宗教として栄え

石鉄山神社」と云われていました。


石鎚蔵王大権現を祀る前神寺と共に

神仏混合でしたが、

明治維新の廃仏毀釈の政策により、

前神寺は廃止され、

その跡地に石鎚神社ができました。


明治初年に県社となりましたが、

社運は衰退の一途をたどり、

経営危機に瀕しておりました。


そこで、愛媛県は特命に依って

武智勝丸翁を石鎚神社社司に任命しました。


明治45年着任した武智勝丸翁は、

会符(エフ)の整理、登山料の実施、

崇敬組合の設置、祭典日の確定などをおこない、

わずか在任8年で負債を償却しました。


石鎚神社はその後、100余の教会、

約100万人の信徒を擁し発展しています。


(蛇足)


武智勝丸翁は、

文久3年(1863)7月12日に

伊予市宮ノ下の伊曽能神社の社家に出生。


昭和3年(1928)3月20日病没する。


行年66才。石鎚神社在任は18年。


墓は伊予市上三谷の武智家墓地にあります。


また、明治維新の廃仏毀釈の政策により、

廃寺となった前神寺は、末寺医王寺に移り、

前上寺」と呼んで命脈を保っていましたが、

旧称の「前神寺」にかえし、

第2次大戦後は、真言宗石鎚派として分離独立し、

四国霊場の札所とし発展しています。


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