伊予の西条歴史散策
ふるさと伊予西条の隅々まで歴史や文化の足跡を辿っています。


└西條の案内板

明屋敷(アケヤシキ)という地名/西條の案内板14



明屋敷(アケヤシキ)という地名



・西条高校
・図書館(平成21年6月1日に移転)
・博物館
・民芸館  

などの文化施設や、

・市役所
・法務局
・裁判所
・検察庁  

などの官庁街となっている
西条の中心地の地名
明屋敷」といいます。


西条の中心地であるので、
明るい屋敷が、建ち並んでいたと、
お思いでしょうが、

地名の由来は、まったく反対です。


寛文5年(1665)、
西条藩第三代藩主の一柳直興公は、
幕府から領地を没収され潰されました。


それで、
この地域にいた藩士もいなくなり
空き家」となったのです。


すなわち、
アキヤシキ」から
アケヤシキ」となったのです。


しかし、
5年後の寛文10年(1670)に、
紀州から松平頼純公が、西条藩主となって、
藩士の屋敷も引き継がれましたが、
地名はそのまま残りました。


なお、
ここが官庁街になったのは、
明治11年(1878)に
新居郡役所がおかれてからです。


(蛇足)

西条藩は3万石ですが、
紀州に2万石あったので、
実質5万石と言われています。

└大保木の案内板

極楽寺の本堂/大保木の案内板4



極楽寺の本堂


この本堂は
平安時代(794〜1192)の
建築様式で建立されております。


白鳳時代(672〜685)の
建築文化が、この時代に
日本固有の表現に移り変わった時代で、
宇治の平等院などが代表的な建物と言えます。


つまり、
堂内のが土間から板張りの床に移行したり、
屋根のが藁葺きとか桧皮葺きにと
日本古来からの建築用材である植物が主体となって、
その建築美を醸し出している
わけです。


おだやかな屋根の流れ、
躍動的な棟のラインともども、
その構造体の質実剛健な構えや優雅な軒に
ひらかな」をあみだした
平安人のを見ることができます。


(蛇足)

平安時代の建築は、
遣唐使が廃止され、大陸からの影響がなくなり、
日本固有の建築(和様)となりました。


すなわち、
奈良時代(710〜794)の
重厚な建築(唐様)に比べて、
平安時代(794〜1192)は、
やわらかな、優美な、繊細な建築様式
となったのです。

西條西国三十三霊場めぐり

第33番 遍照院善誓寺(大師町)/33



第33番 遍照院善誓寺(大師町)


本尊 弘法大師


この寺は、
大師町の名の由来になった寺である。


その昔、弘法大師が四国を御巡錫の際、
当地に4坪余りの大岩石を発見し給い、
その岩石に御休憩あり。

当時、飲料水に困っていた、この地方の住民を、
この苦しみから救ったという伝説に基づき、
後、人深くその御遺徳を思慕し信仰する者多く、
遂に一堂を建立した。
」と伝えられている。


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西国第33番は、
岐阜県揖斐郡谷汲村にある
谷汲(タニグミ)山華厳(ケゴン)寺


本尊 十一面観世音菩薩 天台宗


この寺は、満願、結願の寺で、
紅葉の名所としても有名である。


また、この寺は、
西国三十三霊場で唯一近畿地方外にある寺である。


この寺を西国三十三霊場の
満願寺と決めたのは、花山法皇で、
それ以前の三十三番は、宇治の三室戸寺であった。


この寺の起源は、
延暦17年(798)、
奥州会津黒河郷の豪族、大口大領という人が、
永井村の文殊堂で、観世音菩薩の造像を祈ったところ、
榎の霊木が現れたので、京都に運び、
仏師に観世音菩薩像を刻んでもらった。


その観世音菩薩像を奥州へ持って帰る途中、
美濃国の谷汲で観世音菩薩像が動かなくなり、
しかたなく、この地に永住することにした。


この地には、以前から
豊然(ブゼン)という人が修行していたので、
いっしょにお堂を建立し観世音菩薩像を納めた。


これが華厳寺の始まりである。


この寺は最後の札所として
名残惜しいのか、お札が3枚ある。


そして本堂の柱の
精進落としの鯉」にふれて俗界に帰ることになる。


川柳に「谷汲で所の知れぬ人となり」とあるが、
巡礼で旅の道連れとなり親しんだけれど、
このお寺でお別れ、
散り散りばらばらになってしまうのである。

西條西国三十三霊場めぐり

第32番 正慶庵(本町)/32



第32番 正慶庵(本町)


本尊 千手観世音菩薩


正徳年間(1711〜1716)に
川之江より引越ししてきた人がこの庵を建立。


正慶とは、建立した人の称号である。


山門は本瓦葺きの薬医門である。


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西国第32番は、
滋賀県安土町にある繖(キヌガサ)山観音正寺


本尊 千手千眼観世音菩薩 天台宗


この寺の近くに、安土城址がある。


戦国時代(1467〜1573)は、
この地域は、重要な拠点であったと思われる。


何故なら、
近江の国の守護職を400年も続けた実力者、
佐々木氏の居城が、
この繖(キヌガサ)山にあったからです。


日本書紀」の天平16年(744)に
近江国の大領「佐々貴山君親人」の名が見える。


この「佐々貴山君」の子孫が
佐々木氏であると言われている。


佐々木氏は、
源平合戦では源氏方につき、
織田信長に滅ぼされるまで
近江国の守護職として君臨した
近江国の名家であった。


その城址に観音正寺はある。


観音正寺の開基は聖徳太子である。


聖徳太子が、
この地の川辺で人魚から救いを求められて、
その願を聞き入れるため、
この地で観音像を刻み寺を建立したのが
観音正寺の始まりと言われている。


それで「人魚のミイラ」があったが、
平成5年の火災でミイラも本尊も焼失してしまった。


だから山門はなく、
ただ、仁王像が迎えてくれる。


本堂は平成16年に再建。


ピカピカの新品である。


本尊はインドから特別許可を頂き、
白檀(ビャクダン)を23t輸入。


千手千眼観世音菩薩を造像。


高さ6mもある立派なものである。

西条まつり

2009年西条まつり10月16日



2009年10月16日、
西条まつりの二日目、きょうもいい天気です。


福武天皇.jpg

↑ 昼前頃、商店街に向かっていますと
「福武天皇」の屋台が練り進んでまいりました。


天皇.jpg

↑ 白紙に「天皇」と書かれた文字が確認できます。

文字のすぐ下の彫り物は、弁慶と牛若丸でしょうか。

弁慶が振り回したナギナタを、
牛若丸がヒラりとかわした様子が描かれています。 


ところで、「福武天皇」の「天皇」は地名です。
 
「天皇」という地名の由来については、
天皇という地名/福武の案内板13
をごらんください。

大変興味深い「イワレ」があります。


西条まつり商店街1.jpg  西条まつり商店街2.jpg

↑ 商店街にずらりと屋台が勢揃いしたところです。

勇壮にして絢爛豪華、時代絵巻の再現は
昨今の不況の現実を忘れるひとときでもあります。


夕暮れともなりますと
宮入りの時刻が近付いてまいります。


宮入り前神戸側.jpg

↑ 加茂川を挟んで神戸側に宮入前の屋台が並びます。


宮入前大町側.jpg

↑ 川の向こう、大町側にもずらりと屋台が並びます。


今年の西条まつりも
晴天に恵まれ、本当に充実した二日間でした。